今日はひとつ、
座右の銘の話を。といっても俺のではなく、親父が以前話してくれた事からヒントを得て、だけど。
親父が俺に熱っぽく説いてくれた言葉とは、これである。
やって見せて 言って聞かせて やらせて見て ほめてやらねば 人は動かず
山本五十六
山本五十六 ―― 戦争気運の高まった旧日本海軍において太平洋戦争の開戦に頑なに反対し、いざ開戦してしまった際には軍人として、冷静な分析から導き出される作戦を展開。その達観した哲学は後世になっても強い支持を受けており、ニューギニアで撃墜され戦死した際には、国内のみならず海外からも惜しみの声があったという。戦中日本において存在が際立って光る、名将である。
親父は以前、帰宅するなり毛筆コピーの紙をテーブルに広げ、熱っぽく俺に説いたのだ。
「この言葉にはビジネス社会にも応用される大事な要素がある。特にこの
"ほめてやらねば"という部分には、戦中に生きた人とはにわかに信じ難いほどの、先見の明があると言えるな」
部下を動かす、いや人に何かを伝授する方法としては、
「言って聞かせる」事が最も容易い道だろう。他人の失敗・短所というのは非常に見えやすいもので、「君は〜〜が足らんね、こうしてみろ」と、本人では気が付かない様な指摘をする事ができる。
ただ、「百聞は一見に如かず」という諺がある様に、言葉だけではなかなか理解するのが大変だ。そこで自ら手本を示し、相手が踏むべき課題を示唆する、これが
「やって見せて」。これは自らがしっかりとした手本にならねばならず、また相手も納得する様な模範でなければついて来ないので、まずは自身を鍛錬し精度を上げるべし、という意図も隠されてはいないか。
そして今度は、教えた事を再現させてみる。
「やらせて見て」。ここで肝要なのは辛抱強くなる事だ。教えた事を10として、そのうち5を再現できるかもしれない。ひょっとしたら、2しか会得していないかもしれないそんな時に怒ったりからかったりすると、相手は萎縮して自信をなくすだろう。。「そうじゃない!何で分からないかなぁ・・・?」なんて嘆いても、本当に嘆きたいのは教わる方である。ひとたび自信を失くしたら、なかなか上達はできないものだ。何事でも急に事が運ぶワケはなく、得てして時間が掛かるもの。上達とは失敗の上に成り立つのだし、いつまでも成果が出ないようなら己の教え方を今一度問い直せば良い。
そして親父が感銘を受けた
「ほめてやらねば」の一文。これが実はなかなか難しい。自分と比べてまだ至らぬ相手の、どこを褒めてやれるものか。それに褒めたら最後、それに付け上がって結局何も変わらないのではないか。そう思ってしまうところだろう。ところがこの「褒める」という行為は、実は強大な動機となって相手のやる気を旺盛にさせるマジックワードなのだ。誰にでも必ず、どこか長点がある。それを見つける目の良さも、上に立つ側には求められる。新しい物に挑戦しようとしている者に、さりげなく激励の言葉を掛ける。それだけで向かう姿勢は桁違いに強くなる。
俺が高校で野球部に入っていた時、後輩でヤンキーっぽいヤツがいた。彼はなかなかの短気屋で、試合中に誰かがエラーでもしようものなら試合後にリンチされるのではないか、と思わせるような影響力大な男だった。「ちゃんと捕れよ!」「お前のせいで負けるんだよ」 ――。彼は不機嫌になると行動が荒々しくなり、口数も減る。そのまわりに近付く部員はいない。野球というのは典型的なチームスポーツだ。こんな雰囲気がチームにあれば、怖がったり萎縮してしまって試合にならない。結果、また誰かがエラーして、の悪循環にはまる。高校3年生のシーズンは、こうして苦い思い出となってしまった。
誰だってエラーをしたくてエラーしているワケではない。積極的なプレーによるエラーと消極的なプレーによるエラーでは確かに質が違うし、後者の方がメンタル面に問題があるね、とか言えるだろうけど、トンネルしようが暴投しようが、それはトライしている事には違いない。結果、失敗してしまったとして、どうフォローするか・・・これこそがチームプレイの鉄則である。けなすだけ、非難するだけな姿勢からは何も改善されない。相手を奮起させるためだ、なんてそりゃウソだ。メンバーが多ければ実力もピンからキリなわけで、たとえどんなチーム状態でも試合をするためには9人をグラウンドの上に立たせなければいけない、それが野球である。現状のメンツで、やりくりするしかないのだ。何が大切か―― 失敗した際の、さりげないフォローの言葉である。
親父の言う「ビジネスの世界」というのも、まさに世界まるごと参加した一種のチームプレイである。痛いほど、この山本五十六の言葉を噛み締める機会があったろう。チームメートの心を掴み、狙い通りに成果を挙げるためには、必要不可欠な人心掌握術。現代の世でもなかなか実行するのが難しいプロセスを、実に山本五十六は60年以上も前に提唱していたのだ。
今日は語ったな・・・。